最近、「効果測定」を多く感じます。どんな提案でも「効果測定」です。どんな企画でも「効果測定」です。Webの特権といえば特権ですし、間違いなく、費用対効果的な部分で考えるならば、それは必要なものだとは思います。しかし、最近特に思うことは、「数値」に振り回されてはいないか?ということです。確かに、数値はわかりやすく、評価のしやすい「指標」です。しかし、あくまで「指標」であることを忘れてはいけないと思うのです。はっきりいいます。これは綺麗事です。
インターネットの世界は進歩が早く、もっというと進歩が早いせいで、多くが一気に向かってしまうこともあります。バランスを考えずに、一気に向かってしまう世界です。私はこの記事をエントリーすることをきっかけに、今一度足場を見てみようと思い、あえて綺麗事を軸に話を進めてみようと思います。
費用対効果、効果測定がWebの特権であるということは、間違いなく事実でしょう。様々な情報を取得し、ユーザーの動きも把握できます。動きだけでなくユーザーの志向まで把握できたりもします。それにより、コンテンツを最適化し、より○○○○、、、この先が非常に大切なところではないかと思うのです。
今のWeb、特に物売りがベースとなるジャンルでのWebでは、この○○○○の部分が、どうしても「売れるための形」とか「レスポンスが云々」というワードが入ってきます。「ものを売るために効果測定をする」「費用対効果の効果は売上だ」ということになります。これは間違いではなく、事実そうでしょう。何のためにWebサイトを作るのか?それは、ビジネスとしてうまくいかせたいからです。そのためには数値というわかりやすいデータが必要で、そのデータを用いて戦略を練る。そしてその戦略をもとに、さらなるデータを取得しビジネスの成功を目指す。非常にわかりやすく、非常にドライな方法です。しかし、最近思うのが、この類が非常に多くなってきているという面が気になるのです。
先程も述べましたが、インターネットの世界は極端です。一気に向かってしまうということがあり、時にバランスが重要なはずなのに、そのバランスを無視することがあります。今の効果測定にもちょっと似たような空気を感じるのです。
データを元にして戦略を建てるのは私自身賛成ですし、非常にわかりやすくクライアントの説得にも役立ちます。しかしデータをもとにしたものが強すぎるて、「スピリット」というか、そのWebコンテンツに対する「魂」のようなものが小さくなってきてはいないでしょうか?繰り返しますが、綺麗事です。しかし、私たちは機械ではありません。コンテンツを制作するにあたっては、「魂」のような部分を込めることが必要です。もし「魂」が必要でなければ、人工知能に任せてすべてのコンテンツが生成されれば、マーケティングは完璧です。しかし、我々はそうではありませんし、消費者はもっとそうではありません。
今、果たして「効果測定でこういう結果がでたから次はこうします」というような言葉の中に、どのくらい「ユーザーがわかりやすいように」とか「ユーザーに伝わるように」という気持ちが込められているでしょうか?
制作する側は、商品やサービスを提供する側の思いを具現化するためにもいるのです。商品やサービスを提供する側には、スピリットがあって然るべきです。そこが「費用対効果」「効果測定」という言葉が横行している近頃、ちょっと忘れられているのではないかとも感じます。「費用対効果」「効果測定」というデータに踊らされすぎてしまうと、我々は必要ではなくなります。
綺麗事ですが、この綺麗事を考える事でさらによいWebコンテンツ、Webマーケティングが生まれてくるのではないかと思います。
なんでもそうですが、「~だけ」ではダメだと思うわけです。


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